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永島庸&力也 マスコミ紹介記事 抜粋

阪神大震災:移住夫妻に孫「幸せ、生きてて良かったなあ」
2014年1月14日 毎日新聞
阪神大震災をきっかけに神戸市から奈良県田原本町に移住した廃材家具作家、永島力也さん(60)、庸(よう)さん(58)夫妻に13日、孫の男児が生まれた。夫妻は再婚同士で、孫は庸さんが前夫との間にもうけた長男麻夷(まい)さん(34)=愛媛県西条市=の子供。奈良で一から生活を再建した夫妻は「生きていて良かった」と、赤ちゃんを抱いて新たな命の誕生を喜び合った。

震災当時、2人は神戸市中央区に住み、庸さんは妊娠4カ月だった。麻夷さんは離れて住んでいた。自宅は無事だったが、ライフラインが止まり、一時は避難所で暮らした。港湾労働者だった力也さんの仕事は激減した。半年後に長女麟(りん)さん(18)が生まれた。

「一から出直そう」。1996年、2人は奈良に移り、技術専門校に通って家具づくりを学んだ。力也さんは家屋解体のアルバイト先から廃材を持ち帰り、庸さんが家具に再生。それが評判を呼び、新生活は軌道に乗った。

震災の体験を忘れることはなく、2010年まで毎年1月17日に奈良で追悼集会を開いた。昨年3月には東日本大震災の被災地を訪れた。宮城県石巻市雄勝町で分けてもらった廃材を使い、タンスを製作した。

阪神大震災から19年になるのを前にした13日午前7時40分。麻夷さんと妻宏佳(ひろか)さん(33)に体重3200グラムの元気な男の子が生まれた。庸さんと力也さんは車で6時間かけて松山市の助産院に駆けつけ、宏佳さんの手を取って「よく頑張った」と涙を浮かべた。力也さんは「俺の血なんか何も関係ないのに、うれしくてなあ」と顔をくしゃくしゃにした。庸さんも「震災の半年後に麟ちゃんを産んだ時のことを思い出した。19年という歳月を実感する」と喜んだ。

麟さんは米国に留学中。両親に負担をかけまいと奨学金で学校に通う。13日夜、松山市内のバーで開かれたお祝いの会で力也さんは語った。「19年なんて一言では言えない。でも『幸せやなあ、生きてて良かったなあ』とは言える」【小坂剛志】

被災地復興の手助けに廃材家臭作家が作品展

2011年10月23日大阪民主新報
奈良の廃材家具作家が、東日本大震災被災地の復興への願いを込めて、27日(木)から11月1日(火)まで、大阪市北区の芝田町画廊で作品展を開きます。
作品展を開くのは永島庸、力也夫妻。
阪神淡路大震災で仕事を失い、奈良に移住し家具作家として再スタート。
1998年、田原本町に「工房エンジェルのために」を設立しました。
自らの被災体験にこだわり、廃材を利用した家具作りを手がけ、被災地復興の季助けになれば、と創作活動を続けてきました。
04年には新潟県中越地震の被災地、05年には台風23号で甚大な被害を受けた兵庫県出石町で、ボランティア活動に取り組んできました。
「廃材の使用で木の魅力を引き出しながら、自然を守ることの重要性や、物を犬切にする心を、子どもたちに伝えていきたい。」とする夫妻の作品は、優しいデザインが特徴。01年にならグッドデザインクラフト部門最優秀賞を受賞しました。
午前10時~午後6時(最終日は午後3時)。
阪急梅田駅、JR大阪駅など下車。
芝田22-9-19イノイ第2ビル。
06-6372-0007

2002-2006年 紹介記事 抜粋

人生の応援歌をCDに 阪神大震災で失職した田原本町の永島力也さん夫婦ら /奈良

2002/12/20 毎日新聞
阪神大震災での失職など挫折を乗り越え、廃材家具職人として新しい人生を歩む田原本町の夫婦と、夫婦に刺激されて芸術家になるなどの夢を追い始めた仲間ら約50人が、オリジナルの9曲を集めたCD「ゆめだけど夢じゃなかった」を制作した。
「大切にした夢は、いずれかなう。
『元気にやってるで』と、神戸や世界の人に知らせたい」と夫婦が説明する、人生の応援歌ばかり。
震災8周年の1月17日に発売開始する。

【花岡洋二】
永島力也さん(49)、庸さん(47)は94年、再婚同士で結婚。
神戸で被災し、港湾労働者の力也さんの仕事は半減、パート勤務していた庸さんの食堂は閉鎖された。
96年、「一から出直そう」と決意し、壊れかかっていた同町八尾の神社社務所へ引っ越した。
電気、ガス、水道の無い状態から、近所の協力も得て住居に改築した。
手に職をつけるため、高等専門校で家具作りを学んだ。
家屋解体のアルバイトを始めた力也さんが持ち帰る廃材で作った家具は評判を呼んだ。
手作りに取り組む近所の女性たちとマーケットを開いたのを機に00年、「アトリエマーケットNPO」を立ち上げた。
団体の事務局でもある永島さんの自宅兼工房はやがて、リストラを機に木工職人に転じた男性や自作品を並べる店を構えた主婦らが次々と夢を実現させる場となった。
音楽活動もする会員6人が作詞・作曲。
庸さんが前夫との間でもうけた長男、麻以さん(22)も2曲を収めた。
再婚に反発し、14歳で米国へ飛び出た麻以さんは、差別など厳しい現実に直面しながら音楽の道を歩む。
「流木のうた」は、両親らの流木アートをたたえる。
「ある人は僕のことをゴミだと言うたけれどある人は僕のこと大切やと 宝物にしてくれた」などと続く詞は、両親や仲間たちの生き方に通じる。
庸さんは「自分の生き方を大切に。
夢を捨てたらあかん」と呼びかける。
1月17日早朝から永島さん方で追悼ライブを行う。

 

廃材使った家具など展示 田原本の永島さんら 「物を大切にする心を」=奈良
2002/11/07 大阪読売新聞 朝刊
田原本町八尾の廃材家具作家永島庸さん(47)ら4人が奈良市角振町のぜいたく豆本舗内の「ギャラリー上の蔵」で廃材を使った家具や、柿渋染めなど計65点を展示する作品展「甦(よみがえ)るものたち」を15日から17日まで開く。
入場無料。
永島さんは、建て替えなどで出た廃材を活用し、いすや机などを作る家具作家として活動しながら、全国約600人が所属する芸術家集団「アトリエマーケットNPO」の代表も務めている。
今回は寺の建て替えで出た約400年前の松やヒノキを使い、子供用のいすや机=写真=を約15点作った。
年輪を経た木材ほどよく締まり、木目もきれいで、磨くほどに光沢が出るのが特徴。
「よみがえった廃材を見た子供たちに物を大切にする気持ちを持ってほしい」と期待している。

 

感謝・追悼、歌に 田原本町の永島さん夫妻 阪神大震災8年/奈良

2003/01/18 朝日新聞 朝刊
阪神大震災で職場を失い、直後に神戸市から田原本町八尾に移り住んだ永島力也さん(49)、庸さん(47)夫妻が17日早朝、力づけられた人々への感謝と犠牲者への追悼の思いを込めた集いを開いた。
自宅そばの神社境内で「1・17」をかたどる竹ろうそくの灯が揺らめき、民族楽器奏者の丸山祐一郎さんが祈りをテーマにした即興の調べを奏でた。
夫妻が発足させた非営利組織「アトリエマーケットNPO」のメンバーら二十数人が集まり、たき火を囲みながら震災の思い出を語り合った。
神戸市中央区で暮らしていた永島さん夫妻は阪神大震災で被災。
庸さんが勤めていた食堂が倒壊し、港湾労働者だった力也さんの仕事も激減した。
友人を頼り、田原本町で空き家になっていた古い社務所に移り住んだ。
水道もガスも通っておらず、近所の人たちの協力で住めるように。
県立高等技術専門校(三宅町)で家具工芸を学んだ庸さんが98年に自宅に工房を開き、廃材で家具を作って生計を立てた。
手作りの良さが人気を呼んで工房を訪れる人が増え、99年に「アトリエマーケットNPO」を発足。
現在は県内外の工芸作家や愛好家ら約600人が会員になり、制作活動や開業相談など夢の実現を支援している「NPO活動を通じて多くの人から勇気をもらったお返しがしたい」と夫妻は音楽CDの制作を企画した。
タイトルは「ゆめだけど夢じゃなかった」。
神戸市で毎年1月17日に追悼演奏を続けていた丸山さんのプロデュースを得て完成した。
この日、地震発生と同時刻の午前5時46分から販売を始めた。
小学校教諭や建築デザイナーが作詞作曲した作品など9曲が収録されている。
「ゆめだけど夢じゃなかった」は、映画「となりのトトロ」に登場する主人公の姉妹のせりふ。
「震災でお金も住む場所もなくなった。
でも知恵を出し合えば小さな思いも大きくなる」。
そんな思いを込めたと庸さん。
集いでは、メンバーらが時折涙ぐみながら、避難所の様子や被災地へボランティアをしに行った体験、テレビの映像を見て感じたことなどを語り合った。
力也さんは「心の通う仲間と奈良で出会えたことがうれしい」。
庸さんは「8年前の夜明けの風景を思い出す。
支えられながら生きてきました」と話した。

 

阪神大震災から8年 県内でも追悼ライブや支援募金 */奈良

2003/01/18 毎日新聞 地方版
◇追悼ライブ ろうそくで「1・17」の文字阪神大震災から丸8年の17日、県内では犠牲者を追悼するライブや被災者を支援する募金活動、防災講演会などがあった。
奈良に移住した被災者はライブの場で「仲間の大切さ」を強調し、防災関係者は災害を意識して過ごすよう呼びかけた。
田原本町八尾の稲荷平野神社では、早朝と夜の2回に分けて追悼ライブがあった。
神戸で被災して失職などの挫折を経て、同神社社務所を工房兼住居に廃材家具職人として新しい人生を送る永島力也さん(49)、庸さん(47)夫婦とその仲間らで作る芸術家集団「アトリエマーケットNPO」が企画した。
参加者は犠牲者に祈りをささげ、庸さんが「心が傷んだら死んでしまう。
夢と希望を持とう。
支えてもらったみんなに感謝」とあいさつした。
地震があった午前5時46分に開始し、ろうそくで「1・17」の文字を表現。
音楽家、丸山祐一郎さん(49)=長野県飯山市=が、ブラジルの民族楽器ビリンバウで追悼曲を即興演奏する中、神戸や富山からも駆けつけた参加者約20人が手を合わせた。
続いて、一人一人が震災への思いを語った。
避難所や仮設住宅を慰問演奏で何度も訪れた丸山さんは「迷いながら演奏した後、被災者に感謝された。
音を出すときの心構えを神戸に教わった」。
力也さんも社務所へ夫婦で引っ越してから、多くの人たちに助けられてきた経緯を説明し、「金とか家とかは無くなるもの。
大切なのは、仲間で心がつながること」と涙ぐんだ。
庸さんが理事長を務める同NPOはこの日、オリジナル曲を集めたCD「ゆめだけど夢じゃなかった」を発売した。
午後6時から、収録メンバーが演奏し、訪れた人たちの心を癒やした。

 

ものづくりの夢、夫婦でつかんだ 奈良で仲間55人と即売会/奈良
2004/01/16 朝日新聞 朝刊
廃材家具に手作りギター、べっこう細工に和紙を使った一閑張り――。
奈良市角振町の「ぎゃらりー上の蔵」では、阪神大震災で被災した永島力也さん(50)、庸さん(48)夫妻が、ものづくりの夢を通じて知りあった仲間たちと展示即売会を開いている。
被災を乗り越えて神戸市内から田原本町に転居。
99年に始めた展示会「アトリエマーケット」の集大成だ。
力也さんはかつて港湾労働者。
庸さんは、神戸港で働く人たちを支える食堂で働いていた。
95年1月17日未明、食堂はつぶれた。
力也さんの仕事は激減した。
1年後、2人は田原本町に所有していた物置小屋に移り住む決意をする。
「小屋を立派に直すのが夢やねん」。
力也さんの言葉が決め手だった。
港に未練はなかった。
庸さんは、解体工事の現場に捨てられた廃材の、節だらけの丸太や虫食いのある板に愛着を感じる。
遊び心で作った子ども用イスは人気商品だ。
階段の板はイスになり、住宅の梁(はり)は机によみがえる。
作品展では、2人のほかにも主婦や教師、プロの作家たち55人の仲間が順番に作品を発表している。
3月17日まで。

 

パフォーマンスで新潟県支援 奈良県のキャラバン、富山県入り 来場者から義援金続々

2004/12/10 富山新聞
奈良県から新潟県中越地震の被災地に向かうチャリティー・キャラバンが九日、富山市大泉東町の生花店「花スタジオ花詩織り」でシャボン玉によるパフォーマンスなどを行い、来場者からは多くの義援金が集まった。
一行は十日に新潟県小千谷市に入り、十三日まで幼稚園など五カ所でシャボン玉教室やコンサートを開催して被災者を励ます。
チャリティー・キャラバンは「アトリエマーケット・NPO」を主宰する奈良県田原本町の永島力也さん、庸さん夫婦の呼び掛けで実現した。
同団体は音楽、アートなどをともに楽しもうと二〇〇〇(平成十二)年に設立され、永島さん夫婦は阪神大震災で被災した経験から、新潟県中越地震の被災者を芸術活動で励まそうとキャラバンを企画した。
庸さんは「シャボン玉や音楽で、夢や希望を感じ、心を癒してほしい」と被災者を思いやった。
キャラバンは、奈良から新潟へ移動する途中、石川、富山では知人の協力を得て支援コンサートを開催してきた。
メンバーは陶芸家や民族楽器演奏者など十五人で、来場者は三味線の弾き語りを聴いたり、大きなシャボン玉を作るパフォーマンスに見入った。
花スタジオ花詩織りを主宰する牧野美恵子さんは、庸さんと共通の知人を通じて知り合い、被災者救済の熱い思いに感銘を受けて、会場や宿泊場所の提供、人集めなどで協力した。
牧野さんは「キャラバンのメンバーに富山でリラックスしてもらって新潟に送り出したい」と話した。

 

展覧会:災害忘れない…兵庫の流木、新潟の土で家具と陶器 きょうから奈良で /大阪

2005/03/26 毎日新聞 地方版
◇神戸で被災の家具職人・永島庸さんと陶芸作家の長男・麻夷さん阪神大震災で失業して廃材家具職人の道を歩み始めた女性と、その長男の陶芸作家が、災害で傷ついた兵庫県出石町の流木と、新潟県小千谷市の土を取り入れた家具と陶器の展覧会を奈良県田原本町で26、27両日に開く。
家具職人の永島庸さん(49)=同町=は「『忘れない』という気持ちを込めた」と話す。
【花岡洋二】
永島さんは神戸で被災し、勤め先の食堂が閉鎖された。
港湾労働者の夫力也さん(51)も仕事が半減したため、「ゼロから出直そう」と同町へ引越し、ともに高等専門学校で家具作りを学び、職人になった。
新潟県中越地震が起き、「1カ月後ぐらいから、音楽など芸術が必要になる」と力也さんが提案した。
民族楽器などを弾く仲間と家族ら計17人で、12月に小千谷市の仮設住宅など約20カ所で慰問コンサートを開いた。
愛媛県砥部町に住む長男麻夷さん(25)も、打楽器を携えて加わった。
地震でけがをして松葉づえを突いて来た高齢者に「音がいいね」と言われた。
「行っても迷惑ちゃうかな」との不安は杞憂(きゆう)だった。
地割れした地層に粘土を見つけ、作品に生かすことを思い立った。
応援する気持ちで、花瓶などを約40点焼いた。
夫婦は「家を見るだけでもつらくて」とひるみ、被災者に「壊れた家屋の木材を作品にしたい」と言い出せなかった。
しかし1月と今月、同じくボランティアのために訪れた出石町の、台風23号で決壊した円山川で、根こそぎ引き抜かれた雑木を集めた。
「今ごろは芽吹き始めているはずの木の悲惨な状況が、人間の苦難を語っているようだった」と庸さんは言う。
人間がとことん使い古した奈良の家屋廃材と組み合わせ、流木が最も美しく立つような形で飾り台を制作した。
26日は午後1~4時、27日は午前10時~午後4時、田原本町八尾の「トトロの森」。

 

作品展:阪神大震災被災の永島さん夫妻、小千谷など被災地の素材使い /兵庫
2005/04/09 毎日新聞 地方版

◇「神戸」忘れず頑張ってます「小千谷の土と出石の流木と」--奈良に移住、廃材家具職人・永島さん夫妻◇神戸・中央区で阪神大震災で被災し、奈良県田原本町に移り住んだ廃材家具職人の永島庸さん(49)と夫の力也さん(51)が8日、昨年の台風23号の被災地・豊岡市出石町の流木を使った家具や新潟県中越地震の被災地・小千谷市の土で作った陶器の作品展を神戸市中央区のJR神戸駅南地下街の「デュオぎゃらりー2」で始めた。
神戸初の作品展で、庸さんは「神戸のことを忘れず頑張っている人もいることを見てほしい」と話している。
【長尾真希子】
永島さん夫妻は95年、同市中央区東川崎町で被災。
勤務先の食堂が全壊し庸さんが失業、港湾関係の仕事に従事していた力也さんの仕事も半減したため、「ゼロからやり直そう」と夫妻は力也さんがかつて暮らしていた田原本町へ移り住んだ。
そして夫妻は高等専門学校で家具作りを学び、職人に。
「神戸を忘れない~小千谷の土と出石の流木と~」。
今回の作品展で使われている流木は、今年3月に民族楽器などを弾く仲間たちと出石町の小学校を慰問コンサートで訪れた際に川で拾ったもの。
「被災地で集めたものを温かみのある新しいものにしたかった」と庸さん。
昨年12月には、夫妻のほか、長男の陶芸作家、麻夷さん(25)=愛媛県砥部町在住=も新潟県中越地震の被災地を訪れ、小千谷市の仮設住宅など約20カ所で慰問コンサートを開いた。
その時地割れした地層で見つけた粘土を使用した陶器も展示している。
12日まで。
午前11時~午後8時。
(最終日は午後6時まで)〔神戸版〕

 

神戸に帰ってきたよ 廃材家具で生活再建 奈良在住の大震災被災夫婦が作品展 /兵庫

2005/04/10 朝日新聞 朝刊
阪神大震災で神戸を離れ、廃材を使った家具の製作で生活を立て直した奈良県在住の夫婦の作品展が、12日まで神戸市中央区のJR神戸駅前地下街のデュオぎゃらりーで開かれている。
題して「神戸を忘れない」。
災害を通じて出会った人の優しさへの感謝が、古い木材に命を与えている。
10年前、永島庸(よう)さん(49)=写真右=は神戸港の食堂従業員だった。
夫の力也さん(51)=写真左=は港湾労働者。
震災で食堂は倒壊し、力也さんの仕事も激減した。
生活が再建できるあてもなく、被災から1年後、奈良県田原本町で廃屋同然だった神社の社務所を借りて移り住んだ。
廃材の家具は、奈良の技術専門校に通った庸さんの卒業作品がきっかけ。
材料費がないため、解体作業をしていた力也さんが廃材を調達してきた。
これが評判になって、2人で営む工房は毎日、フル稼働が続き、今では家具づくりの仲間も全国に増えた。
地域の人に愛され、「神戸のことは思い出しもしなかった」と庸さん。
だが、昨年の新潟県中越地震で当時の記憶がよみがえった。
大阪に一時避難する途中ですれ違った長い支援者の列。
「新潟へ行きたい」との思いが抑えられなかった。
昨年12月、音楽仲間を集めて新潟県小千谷市へ慰問ツアーへ出かけた。
被災地の光景を目の当たりにして、「やっぱり私ら、神戸にいたんやな」と再認識した。
車のナンバーは、平成7年1月17日を示す7117に変えた。
いつしか、神戸での作品展を夢見るようになった。
展示品の中には、昨秋の台風23号で増水した円山川に根こそぎさらわれた流木のオブジェや、息子の麻夷(まい)さん(25)が新潟・小千谷の土を混ぜて作った陶芸品もある。
いつか被災家屋の廃材で家具を作り持ち主に返してあげたいとも考えている。
会場には途切れなく人が立ち寄り、陽気な2人とおしゃべりが始まる。
庸さんの声が弾んだ。
「たくさんの人に助けられて生きてきて、やっと神戸に帰ってきたよ」<守れ いのちを 震災11年>永島さん夫妻震災で奈良移住、廃材家具作家に転身 神戸に創作拠点

 

10年ぶり“里帰り” 痛み抱える人の癒やしに 2005/12/25 神戸新聞朝刊
永島さん夫妻震災で奈良移住 廃材家具作家に転身神戸に創作拠点10年ぶり“里帰り” 痛み抱える人の癒やしに阪神・淡路大震災で仕事を失い、神戸から奈良に転居、家具作家になった夫婦らでつくる特定非営利活動法人(NPO法人)が、来年二月に神戸でオープンする創作拠点「波止場町TEN×TEN」にブースを出す。
古い建物などの廃材を生かした二人の創作家具を主体に、制作、展示、即売を行う。
夫婦は奈良から通う予定で、「十年ぶりにふるさとに帰るような気持ち。
木の命を大切にする廃材家具を通じ、ものづくりの楽しさを発信したい」と意気込んでいる。
(網 麻子)奈良県田原本町の永島力也さん(52)と庸(よう)さん(50)。
NPO法人は「アトリエマーケットNPO」といい、ものづくりに携わる人などが文化活動に取り組む。
夫婦は神戸市中央区東川崎町で被災。
力也さんは船の積み荷を固定する大工をしていたが、仕事は激減し、庸さんが勤める食堂も閉鎖。
震災翌年、新天地を求めて奈良に移った。
庸さんが家具作りを習ったのを機に、夫婦は捨てられるものを生かす廃材家具作家に。
素朴な味わいの作品は人気を集め、各地で個展を開くようになった。
今春、神戸で初開催した個展には被災者が次々と訪れた。
「地震で壊れた家を思い出した。
懐かしい」と涙を流す女性や、震災で亡くなった子どものことを語る女性も。
毎日顔を見せた高齢女性は「もう一回やり直す元気が出てきた」と頭を下げた。
夫婦は震災は終わっていないと実感。
過去をよみがえらせ、安心感を与える廃材の魅力も再認識した。
「神戸でできることがあるのでは」と考えていたところ、創作拠点の話を知り、参加を決めた。
「TEN×TEN」は神戸市中央区波止場町六の遊休倉庫を活用。
クリエーター百人が集う創作拠点で、同NPOのスペースは約十三平方メートル。
永島さんたちの作品は、古材の木目や形を生かしたいすやテーブル、額、おもちゃ箱など。
二人は「震災から人の絆(きずな)を大切にしてきた。
廃材家具が心の痛みを抱える人の癒やしになれば」と話している。

 

捨てられていくものから、生まれ変わるアート展 廃材に新たな「命」 来月神戸で、出品者募集

2006/04/08 神戸新聞朝刊
捨てられていくものから、生まれ変わるアート展廃材に新たな「命」来月神戸で、出品者募集廃材や廃品を素材にした作品を全国公募する「第五回捨てられていくものから、生まれ変わるアート展」が、五月十八日から二十一日まで神戸市中央区のものづくりの拠点「波止場町TEN×TEN(テンテン)」で行われる。
神戸での開催は初めて。
使い捨て社会へのメッセージを込めた企画で、「アトリエマーケットNPO」(奈良県)が作品を募っている。
(網 麻子)アトリエはものづくりをテーマに活動するNPO法人。
理事長の永島庸さんと夫力也さんは、阪神・淡路大震災をきっかけに同市から奈良県に移住、廃材家具作家になった。
今年二月にオープンしたテンテンにブースを出し、「里帰り」を果たした。
アート展はこれまで奈良で開いてきたが、今回はテンテンのクリエーター、出品者、市民の交流を図ろうと、神戸を会場にした。
昨年は約三十点の応募があり、グランプリは「風の家」=写真。
木の皮を生かした家は、明かりがともり、ぬくもりにあふれる。
永島さんは「廃材や廃品には何か光るものがある。
それを生かせば、命を吹き込める」と語り、参加を呼び掛けている。
募集するのは、素材の特徴を生かし、芸術性が高かったり、実用的に優れた作品。
賞金はグランプリ十万円(一点)、準グランプリ三万円(一点)。
その他副賞あり。
応募料は一点三千円。
四月二十五日必着。

 

<ミニにゅーす>中央 TEN×TENへどうぞ

2006/07/16 神戸新聞地方版
2月にオープンした中央区波止場町のものづくり拠点「波止場町TEN×TEN(テンテン)」に出展する作家たちの作品を集めた展示販売が、JR神戸駅南のデュオぎゃらりーで開かれている=18日まで。
テンテンに出展するNPO法人「アトリエマーケットNPO」の永島力也さん(52)らが、テンテンへの興味を深めてもらおうと、駅近くでの“出張”作品展を企画した。
20人が出品。
廃材家具やブレスレット、指輪、帽子など、ひとつひとつに丁寧な手作業が施された約800点が並んだ。
アクセサリーを出品した神田裕子さん(30)は「ここで知り合った人にテンテンまで足を運んでもらい、集客につなげたい」。

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